成績よりも重要?!これからの時代を生きる子供に必要な「主体性」と「自主性」
私が通っていたデザインの専門学校では美術史の授業がありましたが、決まってプリントを皆で読み上げるという内容のものでした。在学中、ミケランジェロのダビデ像の紹介でプリントの誤字を発見した私は、「ダビデ像が400mと書いてありますが400cmの間違いですね」と先生に伝えたところ、先生から耳を疑う解答が帰ってきました。
「でもプリントにはそう書いてあるので確認します。」
自分にとってこの発言はその後の人生に影響を与えるほどの衝撃発言となりました。美術史を専門としている教員という立場でありながら、ミケランジェロが東京タワーよりも遥かに高い彫刻を1500年代に作ったと本気で思っていたのでしょうか?
それに追い打ちをかけるように20人あまりいた教室の中では、誰一人として先生の発言に突っ込む人はおらず、相槌を打つのみでした。その瞬間、私は学校という施設にいながらダビデ像が400mあると納得する先生とクラスメートに囲まれていることに滑稽さと絶望感を感じた記憶があります。その専門学校は私が初めて通った日本の学校でもあったので、カルチャーショックとも言える体験となりました。
「主体性」がないとどうなるか
今思い返してみると、先生や生徒に足りなかったのは教養ではなく「主体性」であることに気づきました。主体性とは「自分の意思や判断で責任を持って行動する」ということです。普通に考えればダビデ像が400mもあるなんてナンセンスです。それでも先生が確認しなければならなかったのは、自分の意思や判断に自信が持てず、万が一の場合に責任を取りたくないと思っていたからではないでしょうか。
実はこのような考え方は社会で蔓延しています。主体性のない人に共通することは、自分に自信がないことです。自信がないために失敗や恥を恐れ、自らの行動範囲を狭めてしまいます。先生にとってプリントに書かれた内容を伝えるまでが仕事であり、書かれている内容を正すことではないと思っていたのかもしれません。また、生徒も先生の間違いを指摘する立場にないと感じていたのかもしれません。同じように、企業で働くほとんどの従業員は、会社の方針や与えられた作業がどれほど非効率で無駄な時間だとしても、主張や反論をせず、言われたままに従います。そこには意思も判断も責任も存在しません。
これからのIT時代ではAIやロボットなどの発展により、このような「指示待ち人間」から仕事がなくなっていくと言われています。この問題を受け、近年では「主体性」や「自主性」を持った人を育むことを目的に、世界規模で教育改革が行われています。教育改革が必要とされているということは、裏を返せば、従来の教育制度では子供の「主体性」や「自主性」は育たないということです。
現代の教育システムの何がいけないのか
主体性を伸ばす教育は最近の流行りではなく、実は古くから言われ続けてきた教育方針です。有名なアクティブ・ラーニングのメソッドとして知られ、様々な教育メソッドの原型となっているモンテッソーリ教育は、1907年にローマに誕生した「子供の家」が起源。その頃から子供の自発性を重んじた教育は子供の知能向上に結びつくというデータがあるにも関わらず、100年以上たった今でもそれが世界教育の基準となっていないのには理由があります。
18世紀後半から始まったイギリスの産業革命では、命令に逆らわない従順な作業員を大量に育成する必要があり、それらの作業員を育成する目的で政府は全国共通のカリキュラムを定め、教育を義務化しました。政府が必要としていたのは自ら考えて行動する主体性を持った人ではなく、言われたことに対して文句を言わずに従う受動性を持った人でした。その学校教育こそが、現代の学校の原型であり、その当時の教育方針のなごりが今の指示待ち人間を生み出してしまっているのです。
今では産業革命が終わり、IT革命へと時代が移り変わっています。少し前までは国が定めた教育を学んで良い成績さえ取れば、良い大学に入学して大きな企業に就職し、将来安泰の方程式が成り立っていました。ただし、IT革命によって日々進化する今のマーケットでは、良い成績も学歴も意味を成しません。毎日のように新しいサービスが生まれ、人のライフスタイルが日々変わっていく中では、長年かけて培った企業のノウハウも役に立たない時代となってきています。「過去」の知識に囚われるのではなく、効果のない古い方針を改革する行動力と、マニュアルにないこと、前例のないことにチャレンジする勇気が求められています。それを実現するためには、自らの意思で判断をして行動する主体性と、時代に合わせて必要な知識を取り入れる自主性が必要不可欠な能力とされています。
親としてできること
このような時代の移り変わりの中で、文部科学省は2021年度から『大学入試センター試験』に代わって『大学入学共通テスト』を実施すると発表しました。その大学入試改革の目的は、学生の「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」を評価するための改革です。つまり、2021年度から学生は、数学や国語といった教科の知識のみではなく、【主体性・多様性・協働性】の評価によって大学入学の合格・不合格が判断されるということになります。
これらの能力をどのようにして評価するのかは明らかにされていません。数値化することが難しい能力のため、どうすれば良いのか分からない親もたくさんいるのではないでしょうか。育っているのか分からない主体性よりも、目先の成績を重要視してしまう場合がほとんどと思います。
主体性は教育で身につく「知識」ではないことをまず理解してください。主体性は「性格」です。教えられるものではなく、育まれるもの。教育改革では「主体性」の教科が追加されるわけではありません。学校教育の現場において、子供が自らの「意思」で「判断」をし、「責任」をもって「行動」できるような環境を整えることが、教育改革の大きな目的の一つです。
主体性が「性格」である以上、親にも大きな責任があることもきちんと認識してください。幼少期の間の子供との関係は、その後の性格形成に大きな影響を与えます。本当に子供の将来を気にかけているのであれば、頭ごなしに叱ったり命令したりするのではなく、まずは子供の声に耳を傾けることから初めてください。主体性が育たない大きな要因は、「自分の意思を発言できない環境」にあります。子供が嫌だと思っていることには必ず理由があります。すべてを受け入れる必要はありません。子供が自由に思っていることを発言できるような環境を整えてあげることができれば、将来大きくなった時、先生の間違いを指摘できる主体性を持った人間に育っていることでしょう。